運命線は多くを語る。無い場合も然り。

手相術

「運命線が薄いと不幸なの?」
なんてことは絶対ございません、はい。

運命という壮大な響きをもつ線が手相術にはあるんですが、これまた変化の激しい線でまさしく運命の移り変わりを語る線です。
全く運命線が無い、という場合もその方の境遇なんぞを雄弁に語ったりします。
決して不幸とか、運がないとか、そんな意味はありません。

さて、一般的な定義としては、起点がどこであっても中指の下部に向かって上昇している線を『運命線』ととらえますよ。
次のような場合すべて運命線。

運命線の位置

この線は社会に出て、どれだけ活躍していけるのか、生活はどうかわるのか、そうした運の状態、開運期や不幸期(スランプ期)の時期を表す重要な線です。
さらに、自分らしく生きるための転機の時期、その人がどう社会とかかわっていくか、どんな方面で活躍していくかも刻まれます。

不思議なことに幼少期にこの線が刻まれているのは大変珍しく、自我の芽生える頃から刻まれだすのが多いのです。
このことを考えると、運命というものがはじめから決まっているものではなく、やはり自分で選択し決定し歩んでいくことで道ができていくのかなぁ・・・なんて思うわけです。

また、運命線が出ていると運がよくなる、という単純なものではなく、運命線が出るということは社会生活のうえでなんらかの努力や活動をしなければならない、という意味があるので、受け手(運命線を持つ本人)にとっては、それが幸か不幸かはわかりません。

実際、中国式手相術の玉掌流においては、西洋式手相術では吉相で成功相といわれる乱れのない長くて直線的な運命線を、『孤独で忙しく苦労の多い人生を示す』とっまったく正反対の解釈をするほどです。

もう少し噛み砕いて言いますと、例えば社会活動を苦しみと捉える人にとっては運命線があることで本人が望まないにもかかわらず社会生活で努力を強いられると感じるでしょう。
(この場合は往々にして本音を現す左手の運命線は薄く、建前の右手の運命線のほうが濃い傾向にあります)

反対に、自らの野望や希望のために社会において努力し成功を勝ち取っていくことを志す人においては、運命線があるということは幸運を意味します。
(両手の運命線が濃い場合は特にその傾向になります)

これらのことから、運命線が薄い・無いからといって、それが不幸とは限らないというわけです。
運命線の無い人や、薄い人は誰かのサポートやお世話をしていくことでその能力を発揮できることが多く、協調性・柔軟性に優れ、愛情深く、補佐として一流の素質を持つ人なのです。
両手ともが運命線が薄かったり無い場合は社会でがむしゃらに自分を出していかずとも生活ができるということでもあるわけです。

運命線はその起点によっても意味が大きく変わりますし、終点の様子(線の形状)でも変わってきます。
また、考え方や価値観の変化、心構えや物事に対する姿勢によってほんとに変化することが多い線です。
良くない線であっても、思考によっていくらでも良い線に変え、そして良い運気にかえていくことができるのでその指針にもなる線といえます。

鑑定においてはこうした思考が大きく影響を与える線でもあるので基本掌線(生命線・知能線・感情線・運命線)の形態、特に知能線を最重視して判じていくのが大切です。

また、おいおい具体例についても書いていくつもりです。

タイトルとURLをコピーしました