女教皇の沈黙。彼女は何故TORAを閉じる?それは・・・。

大アルカナ・ノート

占っている時はわりと『無・・・・』だったりするんですけど、私も人間だもの(みつお風)、カードの中でも好きなものがあります。
その1つが、女教皇です。
実際の占いではこのカードがそう。
ウェイト版「女教皇」

いいですね。
彼女の沈黙に出会うたびに、私はそこに誰よりも女性の象徴を感じちゃいます。
クールビューティってやつかしら。

でもね、カトリック教会の方のなかには、この「女教皇」の存在に眉をひそめる方も少なくないと。
なんせね、女性が司祭以上の職に就くことを認めていないカトリックの世界では、存在しえない「女教皇」はしばしば「反ローマ教皇」の象徴とされるからなんですね。
一般にこのカードのモデルは伝説上の人物・女教皇ヨハンナをモチーフとすると言われてたりします。

このヨハンナさんのお話が強烈で、まぁショッキングです。Wikiから引用すると・・・

彼女は人格と才能によって重要な秘書となり、やがて枢機卿となり最終的に教皇となったが実は男に変装した女性であったために教皇やローマ司教の中には数えられていない。ある日、騎乗している時に、彼女は子を産み落とした。即座に、ローマの正義により馬の尻尾に足をくくりつけられ半リーグひきずられ人々から石を投げつけられた。彼女は死んだ場所で埋葬され、その場所には”Petre, Pater Patrum, Papisse Prodito Partum”(おおペトロ、父達の父よ、女性ローマ教皇の出産を裏切ってください)という文が刻まれた。同時に「女教皇の断食」と呼ばれる4日間の断食がはじめて行なわれた。

と、まぁ「正義」というのは争いの種、災いの種でしかないんじゃないかと、天邪鬼な私なんぞは感じる話でもありますが。
悲しい話があります。
けれども、これは主に「マルセイユ版」といわれるタロットカードの女教皇に言われていることらしいです。
マルセイユ版の女教皇はこちら。
マルセイユ版タロット「女教皇」

で、私が実際の占い時に使っているウエィト版はちょっと違うように感じます。
古代エジプト文明の影響を色濃く受けるウェイト版においては、その装いから、彼女のモチーフは「エジプトの女神」だといわれています。
もっかい掲載しますね。

ウェイト版「女教皇」

頭飾りの真ん中の円盤は、夜空の太陽を表し、その両脇は二本の雌牛の角からできている。これは、「古代エジプトの女神ハトル」や「女神イシス」に見られるものと一致するからですね。
ウェイト版が世に出されて以降、白魔術の象徴として「女神イシス」の信望が高まったことからも、彼女は「女神イシス」をモデルとしてるのかもしれない・・・
いや、きっとそうだろうと、私は思っていたりします。

もう少し掘り下げてカードをみてみますよ。

カードでわりと重要なのが、色。
青い色調は、崇高な人間の精神性と物静かで理性的であろうとする内面を表しているんですね。
これは対峙する者に、その沈黙とともに緊張感を与える効果があります。
一見すると情けや妥協も許されない厳しさもそこに感じ取ってしまう・・・怖いくらい。

でもね、波打つ装束に、心のやわらかさを、そして足元にある三日月に、女性の持つ特有の不安定さを観ることができるんですね。
「月」は女性性、感受性、母性、生理をつかさどる星でもありますから。
つまりは女性原理がそこに凝縮されていると見ていいと思います。

このギャップが萌えるわけです。(そう私は変態)

で、うしろに表されるザクロが描かれた布地。
ザクロは「女性の性器」を象徴し、これほど女性性を神聖視しているカードは他にないと思います。
だからこそ、その沈黙の向こうにある女性としての「本能的な直感」、「鋭い洞察」、「受けいれる強さ」が強調されるわけです。
いやぁ、ほんとね、このカードをキーカードポジションに出す方ってすばらしく男前な女性よね。

・・・日本語難し。

さてさて、やっと本題。
手元に持つ書物に注目すると、ウェイト版ではそこに「TORA」って書いてます。
これはヘブライ語で「掟」を意味するもので、ユダヤ教の正典「TORA=トーラー」のことです。
これが象徴することそれは「神の掟、神との約束」です。
でもね、それはしっかりと閉じられています。

なぜ彼女はTORAを閉じてるの?

それは「宇宙の真理というものは、人間には容易に理解できない」事。
と、Wikiには書いてるのですが、そうなのかなぁ・・・・。

まあね、彼女の口からはそれら「神の掟、神との約束」を語る意志はないとも感じられるんですが。
これをカードの展開においては、「神からの回答をあえては申し上げない」という意志にストレートにとっちゃうときついんです。

なぜってね、それは拒絶ではないからっていうニュアンスが含まれなくなっちゃうからです。

もう一歩深い考察がここでは必要で、
「なぜならその答えはすでに質問者の中にありますよ。人に教えを請うものではなく、あなたの心のままに」
ということをしっかり含ませないとね。

これを相手に伝えるとしたら。
「あなたの中の神様に聞いてごらんなさい、あなたの潜在意識はその力をもう持っているのだから」
かな。
実際はもっとベタな感じでしょうが。
「自分ではわかってるんちゃうん?」
(えらく感じがかわる・・・)

それは「人間の可能性」そのものですね。
もしカードの彼女が「女神」であるのであれば、そうした人間の潜在的な可能性に気づきなさいと励ましているように、思えて仕方ないんですね。

なので、表題の問題に対して、甘い人間である私は、こう回答かな。
「拒絶するためにTORAを閉じるのでなく、あなたがあなたの可能性に気づくためにあえて閉じたのでしょう」

つらつらと書きましたが、これはあくまでもウェイト版「女神イシス」を象徴しているカードにおける解釈なわけです。
図柄そうなってるからですね。

これが冒頭に書いたマルセイユ版の女教皇ヨハンナをモチーフしたカードであればまた違う解釈になるはずです。
もっかいそれぞれを再掲しますので、手元の本に着目してください。

ウェイト版とマルセイユ版の女教皇の違い

マルセイユ版は開いていますね。
結構大きな違いだと、私は思っています。

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